2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧
エーコの「薔薇の名前」を読み返しています。 昔の職場を辞めるときに、餞別としてもらった本ですが とても読みやすいし、なにより建築図をながめながら 記憶術のように紙上の部屋を通り過ぎる経験が楽しい。 これ。楽しかったな。 建築物は囲われた空間で、…
牡蠣殻が無造作に遺棄されて 水路の水が匂う よく知っている未知の場所のようなそこを 私はここに移築したかった そこに私が辿り着いたことが ただ、私が辿り着いたことに過ぎない そんなさみしい場所であったとしても 一つの音、一つの石、一つの痕跡を拾い…
5ヶ200円の球根でしたが、すべて咲きました。 錬金術写本の中のウロボロス(クレオパトラ写本) 可愛らしいけれど、「一にして全なるもの(エン・トー・パン)」という ことばを取り巻いています。 精神分析に関するものは避けて生きているけれど 「人間の一…
定かではない空色を過ぎてきた 夢 道 長いフェンスの途切れ 空色という色はないのに 手の夢を見ました 悲しい夢だった
故障している時計の時刻を 最近、通るたびに確かめています。 年に一度、娘の菓子工房と化すキッチン。 今年はフォンダン・オ・ショコラを作っていました。 制服のアイロンかけも、お弁当つくりもあと数日です。 12年間 長いようで短かった。
いったいいつまでこの本について書いているんだ という気がしてきました。 今日でおしまいにします。 作歌法について。実朝は(これほど?)と思うほど本歌取りをした人でした。 定家の教えをそのままなぞったわけではなかった。 まず本歌のうち強い印象をし…
二人で伊豆に行きました。 魚を食べてお風呂に入りながら星を見る という当初の計画は かないませんでしたが (母は思ったより目が悪かったので) 翌朝、湾を巡る船の上から、カモメにお菓子をつぎつぎ投げ与える 母は娘のようでした。 「海ってどうしてこん…
そして実朝の歌について 『万葉』の後期にいれるには、あまりに形式の初原的な形をうしな いすぎているし、『古今』にいれるには、語法が不協和音をいれすぎてい る。『後拾遺』にさしこめば、あまりに古形を保存しすぎている。そうか といって『新古今』に…
上代〜中古〜中世の歌の変遷(まとめ) もともと、虚詞のもつ同時性と二重性から発祥したは、虚詞の を叙する部分に共同のがなければならなかった。この物神性がな くなったとき、は歌作者のだけにかかわるものとなり、また作者 のにかかわるかぎり、必要な…
実朝の同時代の詩の世界である『千載集』『新古今集』について がとして、かろうじて形式をささえている という詩としての必然がうまれてきているからである。これは形 式としては、ほとんど最終のすがたであるといってよい。(中略) 音数律は、ただ同心円…
『古今集』以後の勅撰集のうち、もっとも注目すべきは『後拾遺集』である。 この集中の作品によって、はまたひとつの変容をとげたとみることが できる。これは一口にいってしまえば、俗語の大胆な導入ということになる これはべつのいい方をすれば詩的なのた…
実朝の時代のことは中高の歴史の授業と、あちこちにやぐらや首塚があって掘れば骨が 出るといわれていた土地の記憶の中にしかありません。ただ、狭い土地なので想像だけは できます。 文化(だけ)を握り続けていた都から遠く、法すらわかりやすいことばでわ…
ミント 吉本隆明の「源実朝」を読みました。 どうしよう 凄く面白かった。 (面白い というよりは、どうしよう という感じです。)