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古今集』以後の勅撰集のうち、もっとも注目すべきは『後拾遺集』である。
この集中の作品によって、<和歌>はまたひとつの変容をとげたとみることが
できる。これは一口にいってしまえば、俗語の大胆な導入ということになる

これはべつのいい方をすれば詩的な<規範>のたががゆるんで、<象徴>性が崩壊
しはじめたことを意味している。また、べつの側面からいえば<物><景物・季・
自然信仰>の崩壊であるといってよい(中略) <景物>の見かたそのものが崩壊
して、触目のなにげない自然の動きが<心>にとって関心の対象となった。
おなじように、男女のもの思いといえば、所定の<景物>にむすびついていた集団
的な歌垣でのやりとりや、宮廷や官所での歌合せのやりとりや機知にむすびつい
て成立つといった<規範>は崩壊して、<わたし>が<かれ>を恋うるとか<かれ>が<わたし>に惹かれるとかいう契機に変容したことが、これらの<和歌>を平明自在
なものにしている背景であるといってよい。


共同の表象やいっさいの伝承性をうばいさられた<景物>
=作者の<心>だけにかかわるものとなり<心>にかかわるかぎり
必要なものである、ありふれた<景物>

しかし<和歌>形式は、こういうごくあたりまえの<景物>を表現のなかに導き入れ
るために、いかに長い歳月をへたかということは、どんなに誇張してもしきれる
ものではない。(中略)かれらは、現在のわたしたちとおなじように、梅の香を
かぐこともできたし、入り江の浅地にそろそろ緑をだしはじめた葦のようすを、
いつでもすぐに眼にみることができた。あるいは、現在よりももっとひんぱんに
みることができた。だから、そういう体験だけからいえば、わたしたちがその<景物>を陳腐であると感ずるのとおなじように、陳腐であると感じてよいはずで
ある。あるいは実際に陳腐であるとおもったかもしれない。しかし、<和歌>が
こういう陳腐な<景物>を収容できることを発見したとき、どんなに驚異を感じた
か、はかりしれなかったのである。


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実は、ここあたり(既に3分の2以上過ぎている)を読むまで、和歌という表
現形式が発祥の初原で持った本質的な特徴が、万葉集の中で表現として完成し、
そこから先は終わりへとむかってひた走る というような考えがよくわかりま
せんでした。表現とか作歌 の初めに対する想像が足りなかったのかも知れま
せん。
 

要するにこういうことでしょうか。和歌の発生の頃の人は、景物を用いて思う
ことを述べた というよりは、自分の「思い」をあらわすのに、<共同>の観念
の表象である<景物>を使うしか方法がなかった。そのための手段であり方法が
「和歌」という形式を生んだ。「思い」と言ったけれど、それは比喩以前の
「もの」と一体化したなにか(?)で、それにかなう器として、和歌という形
式が作られていて…


これは、ことばの発生と歌謡の発生が近い という前提があると思います。
読んだことはないけれど、折口信夫の説に近いのではないかな。
(学生時代、卒論を書くとき、折口は読むなと言われていました。
引き摺られるから。)


叙情はいつも垂直に立つことばの後からすこし遅れてやってきていた。
平明自在を手に入れて随分経つ私たちが、それでも実朝の歌をいいと
思うとき(実朝の歌を読むとき、この人の境遇を知らないで歌を見たら
どうだろう?とだれでも一瞬考えて、そして、やはり全然平凡ではない。
凄くいい と思うとき)歌や言葉のはじまりにすこしだけ触れている
としたら、複雑なプリズムの向こう側のかすかな光を見たような
気持ちになります。