2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

CITY BLOSSOM

ショーウィンドーを紙の花?がながれる。 左にある不思議な物体を、「(鬼に)金棒ね。節分ね。」と思いながら通り過ぎて 「???」と立ち止まって良く見たら香水瓶でした。 この水の匂いの香水を昔、少しの間だけつけていたことがあります。 新作は春の水…

理念とか理想が遠くにあってそれに向かっていかなければならないようなら 私にはとても不可能な気がします。 それらが、遠くからひとを照らすものではなくて、ひとが長い間細々と それでも今までつないできたものだと思えばやっと受け入れられる。性善説とか…

嘘は真実より少しだけ能弁 だけど 言い訳とか開き直りはしてはいけないと思う。実際、ひとは言葉で操作されてしまうものだから。 そこにあるのは他者への軽視だと受け取られてしまう。 と 嘘つきが言ってみます。 思い出もさよならも書きかえることができる…

徒然

こどもは悲しさとはこういうものだとことばで学ぶものです と昔、言われました。 アンデルセンや小川未明はそのためのテキストです と。 そのようにして学びながらも、悲しむには能力がいるような気がしています。 ことばの鎖を全てはずしてそこに浸るような…

近況

相変わらず編み物は続けていて、レッグウォーマーだのハンドウォーマーだの 犬の服(脱がせようとすると唸ります)だのを作っては放出していましたが、 お正月にあった親族からは「あのK(私)も最近丸くなったようでしおらしく(!) 編み物をしていた。」…

風景は

引用です 状況が説明へと向かいたがるのが疎ましく どんな物語もなぞるべきではないときの そしてそれらの風景を 私は私ひとりで見たにもかかわらず 結局いつかは、ひとつのアルバムに貼ってしまうのかもしれない (冬の中にゆっくりと消えて行くようなもう…

私の問いとしてあるひとのいつか懐かしい問いになりたい

歴史ではなく

認識の根幹にはかならず過去から今に至るその人がいるものだと 思ってきました。、多分いまも思っています。 でも、「私の物語」はいらない。「私たちの物語」も。 物語というのは参加しない人たちのためのものだから。 ただ、大人になった人たちが幼年期の…

そのときどきの一回性だけに意味があったものを 壊れたレコードプレーヤーのように反復してしまっては いけないので、ここはなくしたほうがいい場所なのかも しれない と思っています。以前とはちがう意味で。 文体を変えて、日常の生活ブログや読んだ本の感…

立春前

素直に良かったね と思えるのは一つの季節が終わったからかもしれない。 ここ10年くらい、(もしかしたらもっと以前から)私は、私のせいで愛した人が死ぬかもしれない ということをずっと怖れてきた。これ以上の恐怖など知らない と今ならやっと思えそうな気…

ある種のことばは

はじめて読んだ場面を連れて来ます 家にあった現代詩全集(書肆ユリイカ)ではじめて吉岡実の「僧侶」を読んだときの 納戸の畳の暗さ(禅僧とか神父がわりと身近な環境にいましたが、そのどちらでもない どこか異国の僧侶 というものを不思議と即座に思い浮…

水。

荒野でない場所は本当はとても少なくて 水を通わせた時だけ、水のある場所になる。 水源はだれも知らない。

すり抜け る

暗闇の中にまぎれ込んでしまえば、目に見えなくなる。独りで映画館に行き、その映画をわがものにする。 見終わったあと、それについて話す必要さえなければ。 この神秘は決して長くは続かないが、ひょっとしたら うまくバランスをとりながらさらに街路を横断…

Hypnerotomachia Poliphili

紙の本 と解かれてしまった(かもしれない)謎 について ヒュプネロトマキア・ポリフィリ - Wikipedia 「ポリュフィロ狂恋夢」とも訳される、1499年に出版された作者名のない本。 主人公のポリフィリが恋人を求めて夢の中をさまよう恋愛譚だそうですが、その…

私の辞書は狭い

傷 ということばと 許す ということばを使ったことがないかもしれない だれかの傷を 私の傷がゆるす だれかの傷を 私の傷がゆるさない 私の傷を 私の傷がゆるさない 今のネットの名前も以前の名前も子どもの名前からとりました。 始めた頃、下の子は小学生で…