そのときどきの一回性だけに意味があったものを
壊れたレコードプレーヤーのように反復してしまっては
いけないので、ここはなくしたほうがいい場所なのかも
しれない と思っています。以前とはちがう意味で。
文体を変えて、日常の生活ブログや読んだ本の感想を記す
場所に変えていく というのも、
表現者でない私には耐え難いことです。
ことばを必要としない世界に降りて行く というのは
そういうことかも知れない。
でも本当にことばを必要としている人がどれくらい
いるでしょうか?



「わたしがわたしを消さないのは わたしがだれかの夢のなかにしかいないからであって
 わたしがだれかの記憶を消さないのも それとおなじ理由なら
 音という音の吊り上げられた ここは既になにかの回路で
 この夕刻を白い雨が音もなく通り過ぎれば わたしははじめからどこにもいなくなり
 遠くなることばを見送って 夕暮れの上澄みだけを目でひろってかえり
 それをそのままうつしている影がのこるだけです。」



3年前のものを少しだけ、読み返してみましたが、
これは私が独りで書けることばではありません。
ことばを必要としている人は、などと言いましたが、
独りで言えることって本当に少ないのね。


                                            

(久しぶりに長々と書いて、私は甘いなぁと思いました。しかも支離滅裂です。
 いくら見る人が少ないからといって、これを公開できるとは。
 これは今まで出会った人達にある意味守られてきた お目出度さと いうもの
 なのかも知れないけれど、これからは年相応に賢くなりますね。)