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実朝の同時代の詩の世界である『千載集』『新古今集』について

<景物を詠む事>が<規範>として、かろうじて<和歌>形式をささえている
という詩としての必然がうまれてきているからである。これは<和歌>形
式としては、ほとんど最終のすがたであるといってよい。(中略)
音数律は、ただ同心円をえがいて小刻みに同じ調で膨らんでみせるだけ
である。戸外で<景物>に<心>を寄せて物思うことも、<景物>の描写に<心>を象徴させることも、もういらない。暮夜、ひそかに<桐火桶>を抱
いて、意識の流れの尖端に<景物>を追ってゆけばよい。その追いすがっ
てゆく想像的な努力のはてにあらわれる光景が<和歌>とよばれる詩であ
った。その光景は、もはや<景物>ではなく<心>の<心>みたいなものであ
ればよい。またそのはてにあらわれる<心>は、現実的な体験に根をもっ
ていなくてもよい。ただ意識として<和歌>形式を接続する流れをもって
いさえすれば。


和歌は律令王権の首脳や周辺の人が生涯をかけて修練するものになって
いた。

かれらの<あわれ>や<むなしさ>や<あくがれ>や<物思い>や<涙>は、おそ
らくは<詠まれるべきもの>として存在した<規範>である。わたしには、
出しゃばり好きの太上天皇や、身もほそるほど位階の昇進をのぞんで
もだえ苦しんだ定家に、ほんとうの優しさや麗体や艶な有心体が、人間
としてあったとはおもいがたい。また、おそらくそういうところには<新古今的>なものの本質はなかったのである。けっして素朴でない歌を
詩人の感性の直線的な吐露だなどとおもったら、途轍もなく化かされる
ような気がする。<和歌>形式の本質からいって、<景物を詠むこと>が<規範>であれば、<詠まれるべき心>もまた<規範>でなければならない
はずである。現在の流行の歌謡で<涙>や<別れ>や<さびしさ>が詩的規範
であるように、かれらの<物のあわれ>なるものも、さまざまな形態であ
らわれる<心>の<規範>であったとみてよい。


秀歌とよばれるものが天皇や周辺の人から出るのは、彼らが暇人だからで
詩的なものを私有し、和歌は彼らの私有する感性によって美の規律が立て
られて変貌していった と言っています。手厳しい。


 



                            


二つ目のヒヤシンスが咲きました。



パウンドケーキを焼きました。(かぼすのピール入り)
これから母と一泊旅行してきます。