そして実朝の歌について

『万葉』の後期にいれるには、あまりに<和歌>形式の初原的な形をうしな
いすぎているし、『古今』にいれるには、語法が不協和音をいれすぎてい
る。『後拾遺』にさしこめば、あまりに古形を保存しすぎている。そうか
といって『新古今』にさしはさむには、もっと光線が不足している。
この独自さは実朝の<景物>の描写が、<景物>をただ<事実>として叙して、
かくべつの感情移入もなければ、そうかといって客観描写のなかに<心>を
移入するという風にもなっていないところからきているようにみえる。実
朝の<心>は冷えているというわけではないが、けっして感情を籠めようと
もしていない。感情の動きがメタフィジックになってしまっている。

「風の涼しさ」を感じているじぶんを、なんの感情もなく、じぶんの<心>
がまた<物>をみるように眺めているという位相である。だから心情の表現
が叙景の背後にかくされているのではなく、<じぶんの心情をじっと眺めて
いるじぶん>というメタフィジックが歌の背後にあらわれてくる。(中略)
なぜこういうことになるのだろうか。たぶん実朝の<心>が、詩的な象徴とい
うよりも、もっと奥深くのほうに退いているからである。この独特の距離の
とり方が実朝の詩の思想であった。

実朝の詩の思想をここまでもっていったものは、幕府の名目人として意にあ
わぬ事件や殺伐に立ちあいながら、祭祀の長者として振舞わねばならない境
遇であった。

真淵のように表面的に『万葉』調といっても嘘ではないかもしれない。しかし
わたしには途方もないニヒリズムの歌とうけとれる。悲しみも哀れも<心>を叙
する心もない。ただ眼前の風景を<事実>としてうけとり、そこにそういう光景
があり、また、由緒があり、感懐があるから、それを<事実>として詠むだけだ
というような無感情の貌がみえるようにおもわれる。(中略)
たぶんこれが実朝のいたりついたじっさいの精神状態である。また、ある意味
では鎌倉幕府の<制度>的な帰結でもあった。源家三代の将軍職は実朝まできて、
そこに<将軍職>があるから将軍がいるのであって、必要だからいるのでもなく、
また不必要にもかかわらずいるのでもなく、ただ<事実>としてそこにいるのだ、
ということになってしまったともいえる。