記憶について
二番目の歌らしきものを作るとき、「母こそとはの娼婦なる」ということばの
記憶がどこかにありました。(寺山かしらと思っていました。)
先程、気になって検索したところ
金木犀 母こそとはの娼婦なるその脚まひるたらひに浸し
塚本邦雄『水銀伝説』(1961年)
皇帝ペンギンの歌位しか知らないつもりでいましたが、私はどこかでこの歌を読
んで記憶していて、涼しかった昨日、思いっきりこのイメージに溺れていたよう
です。どことなく宗教的なところまで。
なんだか本歌取りにしても恥かしすぎるので、消そうかとも思いましたが、
記憶の不思議と、ことばは一体どこから来るのだろう?というようなことを思っ
たので残しておきます。(恥とか言い出したら全て消さなくてはならなくなって
しまいます)
短歌の本質みたいなもののひとつは喚起力なのかな? などと思ったので。
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