箱をあけること



家を少し手直しすることにしたので、年末からついに
今まで触れることをしなかった納戸や物入れ、クロー
ゼットの整理にとりかかりました。
自分のものは整理し尽くしていて
ここからは、何が出てくるかわからない箱
どうして思い出 というのはいつも、思い出す今のもので、
今、思い出すべきものであるかは、出会わないとわから
ないのでしょう?




息子のビー玉あそび  娘のアイロンビーズ





大きな事件の新聞、今はネットでも読めるのにね。
とくに何の事件もない日のものが、二部あって
不思議に思っていましたが、ふと日付が子どもの
生まれた日だと気づきました。




等等等。




リフォームは口実で、今なら箱をあけても平気かもしれない
と、思ったのかも知れない。
捨てることは出来なくても把握すること。
そして、思った通り、とても大変です。
自分の 家族のアルバムをきちんと貼って増やしていきながら
生きているような人だったら
きっとこんな風にはならないのでしょう。
(常に目の前の波にのまれてきました。)



ショーペンハウアーがどこかでこんなことを書いている。
「人が自分の人生で憶えていることは、過去に読んだ小説より
ほんの少し多い」
まさにそういうことだ。ほんの少し多いだけなのだ。
「プラットフォーム」 ミシェル・ウェルベック

そうかも と思ったりしましたが
誰でも抱えきれない程の思い出を持っている
今に溶かし込めない記憶を と今は思います。



箱を開けてまた閉める その繰り返し
それでも、その所為で
やっとこの部屋は過ぎていく
あるいは 家族の歴史のようなものの中を
部屋と私が