「忘れる」も「忘れない」も意志のしたでは苦しい。
驚くほど忘れていくし、驚くほど思い出すから。
例えば私の指はピアノを全く忘れていますが、曲を聴くと
記憶の扉が開いています。頼んでもいないのに。


大事なのは「今、何を忘れているか」かもしれないな と思いました。
痛さなどは、完全には忘れてはいけないものだったかも知れない。
耐えられていた痛さも、一旦忘れてしまうと、思い出したときに
耐えられなくなってしまうから。
少しだけ覚えていて、忘れさせてくれるものに感謝するほうがいい。


「知っている」「知らない」でも「何を知らないでいるか」のほうが 
人を決定しているような気がします。
無知を正当化するわけでも、厭なことを聞きたくない というのでもなく
知らなくていいことを知らないままでいるには
この分岐には入らない という意志と やはり幸運が必要なのかな。


真実かどうかはわからない。どうして知ってしまったのかもわからない。
でも知ってしまったことは二度と消せない というのが子ども時代の終わりで、
いまだにその尻尾をひきずっているような気がします。