騒々

受粉のため というにはあまりにも遠方まで膨大な花粉を撒き散らす植物の戦略の巻き添えをくって、目薬と気管支の薬が手離せなくなりました。風媒花と虫媒花ではどちらが進化の先にあるのでしょう?効率など関係のない生き残るための



春はすべてが微熱を纏っていて、ものの壊れる音も軽い。(硝子の皿を割りました)頭痛の前兆のようにちらちらとした数字が光のなかを見え隠れし、瀉血の快感に全身で蒼ざめながら、明るい廃屋を覗きこみに行くような、幾たびも繰り返された印象が蘇ります。



たらの芽を天ぷらにし、菜の花のおこわを作り、竹の子を焼いて こどもと食べました。春を取り入れて身体から慣れていこうという試みです。眠りからさめたばかりのこれらの植物は苦味を残していて、これにくらべれば動物の肉の味は(味だけは)親しい。同族の味。



数字はすべて記念のために。私と息子の誕生日は一日違いで、私は自分の書類によく間違えて息子の誕生日を書いてしまいます。生まれた日の桜も産んだ日の桜も知らない。それらの日も外では動けない植物たちが年に一度の風による交配をしていたのだろうけれど、産屋とは暗室のようなもので、そこから一人増えて、あるいは減って出てくる。人は随分弱いものだと思います。その後に父の命日があります。今年は七回忌。春の数字。



父の死のすぐ後から日記をはじめました。なにかの拍子に目に触れて、わたしのことばを解り、それを悲しむのは父しかいないだろうと思っていたからです。それは間違いでした。間違っていたけれど



何年か続けてみてわかったのは空白だった頃の記憶が数珠を手繰るように現れたこと。それはことばを与えたからです。そして回避した場所はその回避したことによって意味を持ってしまったかも知れないこと。



ことばは恐ろしいものだと思います。それを持って出来事の間を生きて行くことも。でも生きるためのことばはもう頂いた。盗んだのかも知れないけれど、それは、このようにしかいられない今の私のものです。



あとひとつ 見たことのない美しい夜を思い出すために 私は生きています。