ひとがある部分(絶望であったり悲しさであったり)を自己表出の場に決して
連れ出さないのは、連れ出したら最後、他人のことばや物語の餌食になってしまう
 というのもあるかもしれないけれど、再び自分自身の中におさめておくにも説明
が必要になってしまって、必ずそれは変質を伴うからではないかと思う。



  
落差の風が自分の中に吹いているのを上手に隠して守っているひとに
感じる親しさみたいなもの。悲しさというか「困ったね」というような。




十九世紀の末の都市には写真による絵葉書が流行した。これは現在のグラフィックなメディアに相当するものであり、あらゆる出来事は絵葉書にされるようになった。これと同じ時期に、きわめて大衆的なイメージの建築が流行している。パリの十九世紀末から二十世紀はじめにかけての時期をみるとまるで絵葉書むきにつくられた建物がある。その原因を直接絵葉書に帰することはできないが、少なくともこのメディアがいつのまにか、大衆の感受性やそこで凝結するイメージの形成に作用していたことは認められてよいだろう。物とそれを「見る」ことが逆転しはじめた。世界は見るべき謎ではなく、見られるべくつくられつつあったのである。
多木浩二 「眼の隠喩」


ということばを読みました。