雨降山で
高校のあった市の境にある山は
阿夫利山(雨降山)とも呼ばれていました。
頂上からは富士山も
遠くに江ノ島、三浦半島も見える。
雲がさしてきて 風花
てをのばす 間もなく
半刻ほど 剥離した空の
しずまるのを待つあいだ
暖かい豆腐を掬って
こんなことはめったにないのだと
店のひとに笑いながら言われました。
外に出れば
透明に包まれて
なにがかくされたのかもわからなかった。
金雀枝の繁みや百葉箱の裏の黒土
櫛 という文字 ?
共にいる というのは
意思によってというより
なにかの偶然と個々の必然によって
世界の断面に居合わせてしまう
ということの方が近い
その世界はもしかしたら
作られることができたかも知れなかった。
縦糸と横糸 さまざまなコラージュによって。
それなのに ひとりひとりが 個別の空を剥離させては
その断片を踏みしめて
歩いていく。 なにかをもとめて
そんなことを一瞬ですが思いました。