2月


新しい昨日が隙間に挟まれて眠りの芯の静止する部屋   (新)

3月


傷ついた兎でしょうかさっきまで真水は甘いと言っていたのは  (甘)



梅の香に各々路地は閉ざしおり行き止まりのひとつのみ目覚める  (各)



やがて海やがては空に還りつく淡雪という影の別名  (やがて)



春の海ひねもす淡くひらかれるどこかに魚の叫ぶ領域  (叫)



空に水忘れなければ見出せぬ鞄のポケットの中の半券  (券)



個別の貝は個別の波に浚われて死は帯のようにつらなる  (別)



瞬きのたびに光をとりこんで春の迷路を作ってしまう  (瞬)



テーブルのはずれは深い谷でした落とした音符が小さく見える  (テーブル)



夢もみず寝たのでこれを賞します春一番の嵐のあとに  (賞)



いままでに習っていない感情がひたすら三月の電線を揺らす  (習)



わずかずつ私を手放していくことがいつしか嘘になる水の夕  (わずか)



ビル街の風聴く耳にN極のほうから小さな流氷が届く  (極)



終点の冬の梢は過ぎたのに更に流れるものある不思議  (更)



暗がりの金魚の吐息 雛飾り たずねた家の匂いのように  (吐)



年に一度負債を返しているように木々はいそしむ春の仕事に  (仕事)



ここはそこ彼方はここに幾重にも遠回りして野原を逸れる  (彼)



無人の待合室の水槽の闘魚の鰭よりつたうさざなみ  (闘)



水底に光ひろがるあきらめに似て私達は少しく同じ  (同じ)



蝋石で暗渠の上に絵を描く子 嘆きの川からすこしはなれて  (嘆)



星ぼしが仲違いする夜なので子猫も鳥もおもてを見ない  (仲)



梨の実をありの実と言うようにして冥府の際を跨ぐためらい  (梨)



渡る鳥だけが不思議と知覚する郷愁に似た風の信号  (不思議)



声帯を出ればくるしい意味としてときに妙なる歌として 息   (妙)



自らを巻き戻してはかなわずに春は滅びる滅ぼしながら  (滅)



その庭に期限を過ぎて返された空をどうにか貼ろうと思う  (期)



海月より魚 それより水底の貝にコメントしたい(されたい)  (コメント)



雨粒の速度のような悲しさが舗道を過ぎて幾千の跡  (幾)



眠りに私を落とすと思い出は波紋のように逃げて静まる  (逃)



足りないものはなくて何かが多すぎてレシートは財布の中で掠れる  (財)



薄く水のはられた空がひそやかに冬のはずれで祝われている  (はずれ)




5月


日々は布の粗い手触り 手繰りよせ今日の猛禽類に覆いを  (猛)



路地にある光の溜まりの縁を撫で猫は夏の暗へとむかう  (夏)



ブランコを漕ぐ子ははるか地をはなれうなじにまわる風の勢力  (勢)



後悔をしたことのない人の目が空を胸まで引き寄せている  (後悔)



悲しみが少し多いと思う日はきのうの眠りの深さを思う  (少)



箪笥の奥の翡翠のようだ新緑や蒲公英の黄を恨んだことも  (恨)



ときには朝にイエスを投げる ハロー ガイ。 いつも落ちてるわけじゃないのよ。  (イエス




6月


銃声がして水たまりがきて空がきて静かだ平和を弔うことは  (銃)



誇りから零れて雑居ビルの裏 おそらく純粋という病は  (誇)



いとわしくいとしい甘さがたちかえるカステラの紙はがす指には  (カステラ)



遮断機の音は若葉を揺らしつつ景色の裏の傾斜をくだる  (若)



陽光に慣れていく目の内側に梅雨空へと遡行したがる魚  (慣)



過去ではない 夏へ薄れる冬の日も 昨日本屋で触れた頁も  (日本)



穏やかに喋りつづける声のすれば部屋の昏さも抑揚に沿う  (喋)




風と風の狭間にあって平穏は小鳥の重さ 掌ではかる  (間)

 


繋がると同時にひらき思い出が流れて足を濡らす箱です  (繋)




形なきものを象る名を思う たとえばアルプス洋菓子店を  (アルプス)



マトリョーシカ 括弧の中の鍵括弧 いくつも生れ出る我々  (括)



あれは蛍?交互に点滅していたものが夜に溶けてからずいぶん長い  (互)



聴き取れぬ私語交わしつつ傍らを一般性が通り過ぎ行く  (般)



一倍はかつてダブルの意味でした と「人一倍」の文字は傾いで  (ダブル)




7月


衛星がノイズの帯を抜けながら受信している雨の気配は  (受)



駄目なまま眠れと雨と梔子が生まれる前の夜を連れてくる  (駄目)



首都湿度80%の谷底を善人尚もてスクランブルに  (善)



裏返し意味とかたちを合わせては手放す神経衰弱みたいね  (衰)



回廊に電信柱の影が立つとても秀れた道標として  (秀)



水甕を覘きこむたび永遠が羽ある種子のように降る町  (永遠)



笹の葉が風を姿に変えていく 何時しか低くなった軒先  (何)



獣は帰り 時計は午後の舟となり 小さな叫びを眠らせている  (獣)



どの貝もらせんを持つしどの村もK氏が宿にたどりつく夜  (氏)



死者以上であるかのごとく振舞えばただ下がりゆくばかりの水位  (以上)



ときおりは何かの刑で犬であり私であるかのように連れ立つ  (刑)



ただ数を数えたくなる 水切りの石を遠くに投げてください  (投)



思い出がきれいに澄んでいきそうで草を千切ったあとの爪の香  (きれい)



日ざかりの街 人はみな暗闇を瞼に入れてゆっくり運ぶ  (闇)



外は夕立 古い毛布にくるまった ああいつからかいない兄弟  (兄弟) 



視るものは視られる夜の鏡台の裏から不意に手を取る者よ  (視)



柿の木に戻った君が薄い葉で囲うそばから揺れ落ちる雨  (柿)



虫の名を答えるときの得意げな顔を見たくて何度も聞いた  (得意)



訪れを待たない夢の白日にがらんと静まる産業道路  (産)



蝉時雨幽かに寄せて図書室の奥に傾く個人史の棚  (史)



夕闇にワルツの流れる庭園で重たい花が遅れてひらく  (ワルツ)




8月


八月の朝に偶然居合わせたあなたにコップの水と良い日を  (良)



空よりも納骨堂に降る雪の話を誰かしてくれないか  (納)



美しい遺棄の記憶をうっすらと浮かべて玉のような赤子は  (うっすら)



扇子を仕舞い一礼をして手妻師は紙に戻れぬ蝶々を連れて  (師)



炎天に合歓の花咲く悪党は愛されないとなれぬ生き物  (悪)



蜘蛛の糸ゆるやかにはる 愚かなる修辞法にも朝のくること  (修)



この丘から眺める自分は嫌い でもどこまでも雨上がりの世界  (自分)



柔らかな線の思い出 封きれば文字のかたちに人の居た頃  (柔)



新宿区歌坂逢坂霞坂すべては同じ坂だと思う  (霞)



左岸には大葉子犬蓼蜻蛉草会うときは川を忘れておりぬ  (左)



夜の蝉 切れてしまった電球を振れば小さな歯の音がする  (歯)                      

                                                   
金髪のピアス少女が釣銭をお餅のような手で渡しくる  (餅)



影の中を小さな影が駈けていき夏の残りをぼんやりさせる  (ぼんやり)



弱音ペダルの付いた空です 呟きが溢れてだれも歌い出さない  (弱)



回転扉 反転扉 明るくて寂しい出口のこちらと向こう  (出口)



八月に鯨がやって来るような記憶を持たない入江に眠る  (鯨)



ポケットの中の唯一を確かめる仕草で煙草を吸うねあなたは  (唯)
 
         

昨日打たれた句点の在処を探そうとすれば非局所的俄雨  (局)



ドアーズをはじめて聴いた 曲線を大きな雲がゆく夏だった   (ドア)



群衆の襟に小さな蜘蛛がいて「かえりみちをわすれた」という  (衆)



明け方の窪地に水が湛えられ解体されていく比例式  (例)



透明な下書き線を見せるとき季節は人のいた場所のこと  (季節)



証するもの悉く塵にして風のありかを知らせる手紙  (証)



濁さぬようにそっと渡って夢と知る朝は光がとてもさみしい  (濁)



沈黙をくるんだ布に記された文字というこの賑やかな線  (文)



水栓を締めれば川から来た水が五センチ前で立ち止まり 夜。 (止)



             

      春から夏にかけて、題詠blog2013に参加したものです。