戸口

或る人、まだよほど若くて過度へ傾きがちだった頃に、何日もひとり籠って、物もろくに食べずに、黙りこんでいたことがあり、それで静かであったかと言えば、躁がしかった記憶が残ったという。


口は噤みながら内では喋りまくっていたようでもなく、躁がしさは自身の外にあると感じられていたという。人の声ではなかった。何と聞き分けられる物音でもなく、強いて喩えるなら通り雨の振り出しか、どこかの繁華の往来の足音が風の加減で天から降るのに似ている。甲高いようになっては引いて、耳につかなくなり、気が付けば自分の無言を自分で聞いている。沈黙のあまり狂うということもあるのか、とおそれる。すると出所も定まらず音にもならぬざわめきがまた満ちあげて、何やら方角らしきものを帯び、声でもないのに、呼んでいる。手放しにはしゃいでいるようでもあり、険悪なようでもある。それに応えて、やはり立ち上がらなくてはならないか、とつぶやきがこれも自分から三寸ほども離れたところから洩れる。出迎えて一緒に躁ぐか、それとも後も見ずに走るか、と思案している。そのどちらの挙に出るかによって運命がようやく決まるとでも言うように、張りつめた横顔が見える。しかしどの道、踏み出すのはその瞬間、無力感から出た恣意にほかならない、とすでに引かれ者の、眼が潤む。神妙らしく身支度を思う。


その境も過ぎる。幾度でも、何事もなく、何処へも越えずに、過ぎる。


人が戻って来て、出迎えた戸口で、帰って来たの、帰って来ました、と言葉を交わしたそのとたんに、ほど遠からぬ所を走る大通りから、周囲の家から、いくらでも物音が耳に聞こえてきた。


人と人の話す空間はどんなに静かであることか、と驚いたという。




古井由吉 『朝の男』