おんがくのような
CDショップに寄って帰ってサティを聴いています。
魂を観察するものは、魂のなかに侵入することはできない。たぶんどこか端の方で触れあうところはあるだろう。この接触でわかるのは、魂も自分自身をしらないことだ。
それは、そうして未知のままであるよりしかたがない。魂の外に別なものがあったとすれば、かなしいことだったかもしれないが、そんなものは何もないのだ。
カフカは例えばロマン派の音楽なんて
聴かなかったでしょう。でも
ひとことでいい。もとめるだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きている、待っているというしるしだけ。いや、もとめなくてい。一息だけ。一息もいらない。かまえだけ。かまえもいらない おもうだけで。おもうこともない。しずかな眠りだけでいい。
左端のいちばん上の
すこしかたむきかけた活字が
影を落とすように揺れはじめ
折り曲げられた今日のページの端から
斜めにふりこむように
雨がふり出す
小川のちかくにわたしは立っている
雨粒のとどまってみえるくさはらに
庭師が控えていて
雨の去ったあと
おんがくのようなことばは
わたしにのこらない
わたしといっしょにこの部屋を出ていく
そう思います。いつも
すべてが生活として貼り付いているわたしにとって
それは虚しいことではありません きっと