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どこら辺が秋の本なのか、勝手に書いてみます。



「東京の昔」吉田健一 

吉田健一は時間の温度を操ってしまう人 という印象があります。
それは小説でも随筆でも。
作中はもとより、読者の字を追う速度や読み終えた後の空白をも、支配して
しまう。ことばによって。
この本の中では、例えば道に迷ってはじめて口をきいた自転車屋
勘さんと、肌寒い夜、おでん屋さんで再会する。なんでもない言葉を
二言三言交わす 交わすたびに、所作のたびにその人に場所に馴染ん
でいく、その場の湿度 時の流れ。

私から少し離れた場所に滲むようにあらわれる薄い文字を
片耳で聞いていて、もう片耳に伝えるような
そんな読み方をしていることに気付きます。その心地よさ
(なのでしょうか?よくわからない)には、実を言うと作者の学識が
時々すこし邪魔に思えてしまう気がする程。




たけくらべ樋口一葉

一体の風俗よそと変わりて、女子の後帯きちんとせし人少なく、がらを好みて巾広の巻帯
年増はまだよし、十五六の小癪なるが酸漿ふくんで此姿はと目をふさぐ人もあるべし、所
がら是非もなや、昨日河岸店に何紫の源氏名耳に残れど、けふは地回りの吉と手馴れぬ焼鳥
の夜店を出して、身代たゝき骨になれば再び古巣への内儀姿、どこやら素人よりは見よげに
覚えて、これに染まらぬ子供もなし、秋は九月仁和賀の頃の大路を見給へ、さりとは宣くも
学びし露八が物真似、栄喜が処作、孟子の母やおどろかん上達の速やかさ、うまいと褒めら
れて今宵も一廻りと生意気は七つ八つよりつのりて、やがては肩に置きてぬぐひ、鼻歌の
そゝり節、十五の少年がませかた恐ろし、学校の唱歌にもぎつちょんちょんと拍子を取りて、
運動会に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそ
思はるゝ入谷ぢかくに育英舎とて、


八月終わりの千束神社のお祭から三の酉の終わった初冬まで。
このような大人への道筋が決まっている、場所柄ませたこども達の
もどかしく、動くことも儘ならないただ一度の初恋

お前は知らないか美登利さんの居る処を、己れは今朝から探して居るけれど何処へ行たか
筆やへも来ないと言ふ、廓内だろうかなと問へば、むゝ美登利さんはな今の先、己れの家
の前を通つて揚屋町の刎橋から這入つて行た。本当に正さん大変だぞ。今日はね、髪を斯
ういふ風にこんな嶋田に結つてと、変てこな手つきして、奇麗だね彼の娘はと鼻を拭つゝ
言へば、大巻さんより猶美いや、だけれども彼の子も華魁に成るのでは可憐さうだと下を
向ひて正太の答ふるに、好いじゃあ無いか華魁になれば、己れは来年から際物屋に成つて
お金をこしらへるがね、夫れを持つて買ひに行くのだと頓馬を現はすに、洒落くさい事を
言つて居らあ左うすればお前はきつと振られるよ


ひやりと現実が一本の線を引きます。

初冬の空気のような最後の一文は、何度も繰り返し、読みました。



アイヌ神謡集知里幸惠翻訳

横書き、左頁がローマ字 右頁が訳になっています。
抑揚がわからないけれど、声に出して読んでみたり


しんかたぺ らんらん ぴしかん
こんかたぺ らんらん ぴしかん

銀の滴 降る降る まわりに
金の滴 降る降る まわりに


19歳の訳者の「序」は同族のことばを消失させまいとする
意志のあらわれた
毅然とした美しい文章です。
そして巻末の金田一京助の「知里幸惠さんのこと」と彼女の死を
伝える短い追記はとても悲しいです。
一人の人が語る暇なく持っていってしまった
たくさんのことばと物語。



「....この記録はどんな意味からも、とこしえの至宝である、唯この宝玉をば
神様が惜しんでたった一粒しか我々に恵まれなかった、」