つなぎにふを入れます


今週は風邪引きのせいで、サーモスタットの壊れた機械みたいになり、
とうとう一昨日は休んで一日寝ていました。薬で眠ると根こそぎ奪われる感じがします。



テレビでは「つなぎにふをいれます」といっていました。
ふ とはなにかしら とばかり考えていました。




夜、こどもの借りてきたエンゼル・ハートという映画を見ました。
昔、見たときは、ニューオリンズに住んでいる人やブードゥーを信じる人はこれを見て怒らな
いのだろうか と思ったのですが、半分眠りながら見てみると、強引な民間信仰との結び
つけとか、悪趣味なショットや光と影の印象的な映像、デ・ニーロがルシファーという無理っ
ぽさとが抜け落ちて、音楽だけが際立ち、余程悪い夢のように感じました。






↓ これから見る人は回避してください。



探偵であるハリー・エンゼルが、人探しをしながら結局自分自身であることを知ってしまう
という自分探しの話ですが、この1930年代の甘い歌がテーマになっています。


実は自分自身をしらない彼は、口笛でこの歌を吹きながら車を運転し、関係者の女性に会っては
戯れにそのフレーズをピアノで弾きます。
(何者でもない軽さの部分でミッキー・ロークははまり役です。)
黒人教会のゴスペルや、ニューオリンズのJazzや子どものタップなどの現実的な音楽の印象に
かき消されてしまうほど、このテーマはか細いものなのですが、出会った美しい娘が鼻歌で
この歌を歌い、「ジョニーの(父の)歌よ。」というのを、不可解な顔で聞くシーンはせつない。
(映画を見る方は既に結末をうすうすわかっているので)
アラン・パーカーは音楽が一瞬で場の雰囲気を変える、それをその場の空気ごと切り取ることに
長けた人だと思いました。 
挟み込まれる映像の印象が強すぎるので通り過ぎてしまいがちですが、夢のような懐かしさは、
忘れてしまっている怖ろしさと、実は隣り合わせの場所にあること
最後の最後にコインの表裏のように裏返るのが、悪夢の正体であるということ を
音に語らせていると思います。




眠りすぎたせい か 咳止め薬のせいかな。
眠ってひとつ夢を見て時計を見ると4〜5分しか経っていない という数珠繋ぎのような朝を
迎えました。
明け方の眠りは夢がひしめいているものなのかしら。
悪い夢は見なくなったと思う。
(透明な欠片のようなものを両手に抱えています。)