どうしてこうも注意力散漫なのだろう と思うのですが、今日は帰り道、
歩道橋の最後の一段を踏み外しました。
直後はそれほど痛くはなかったのですが、家に帰って派手に擦りむいた所を見ると
とても痛い気がしてきて犬に「痛いよう。」と言っては気遣わしげな顔をさせて
います。先月と同じ。こどもみたいです。


傷の形状や経緯は言う事ができても、痛さそのものは なかなかことばに収束できない。
喜びや悲しさもそうで、ただ呼び出されると今を鳴らします。
劇的なものから一番遠いそれらの反響版のようです。私は。


音楽を理解する という感覚もよくわからないまま、ことばに音楽を重ねてしまっている
気がして、スタイルというのは息継ぎとかためらいとか、いつの間にか響いているずっと
以前に聴いた低いアルぺジオとか そういうものではないかと思ったりします。


中学生の頃、講堂の小さな予備室にどうやって入れたのか古いピアノがあって、
それをだれかが弾くと、何故かその部屋から遠く離れた二階の音楽室の太鼓や
シンバルが小さく鳴ることがあって「七不思議」といって怖がる生徒もいました。
講堂の壁を振動が伝わっていたのだと思います。もったいぶって後輩を脅す
片棒をよく担ぎました。(校舎が新しかったので、あとの六不思議も全く説得力が
ありませんでした。)