思い出


にするときは、震災や身近な人の死とは独立したものとして
それを持つことを許されたい。そのときここは消してしまうと思うけれど
ここと、消した場所での出来事として思い出すでしょう。
当たり前ですがだれにも言わずに。


もう更新されないものになってはじめて
居場所を与えられる
思い出の仕組みはさみしい。





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そして、そのひとのそれは
ことばが身からはなれて自在であることと
少しも矛盾しない


ことばにしてしまうことの怖れと、読んでしまうことの怖れが
どこかで釣り合う のが唯一の出会いではないか という気がしてしまうのは
ことばの勇気は持たないけれど、ここで、このようなことをことばにするにも 
ない勇気をふりしぼらなければいけないようだからかも知れません。
大昔、人と合わせて弾くときは
「行くしかないときは行くしかない。絶対負けない」と本番前に言い聞かせていました。
(そして毎回ぼろぼろに負けていました。)



なにも賭けていないと思っているひとのことばはとても眩しいです。素通りしてしまうほど。