「こういうの好きでしょ。」と勧められて、音相システム研究所で機械と人間の対話を
研究しているひとの本を読みました。
小説や歌のことばの音相のみならず、何故か好きな男性や息子さんの惚気 のような会話が
たくさんある不思議な本でした。
筆者は、対話には意味文脈と情緒文脈がある と定義していて、情緒に偏った対話と
いうのは知の極みのようでいて動物的であり、その対話は相手がヒトでなくても動物
でもアートや音楽、月や街や木や風、階段でさえ対話の対象となり得る といいます。
そして、情緒文脈で自我を内側から探り、意味文脈で自我のかたちを他者に知らしめ
るのが対話であり、対話は他者に出会うためではなくて、自我のかたちを際立たせ、
「私」と他者を照応させるための手法である と。そしてこう続きます。


いつか私は、私の大好きなひとを失っても、彼と対話をし続けるだろう。逆に私が先に死んでも彼はきっと今とそう変わらない手法で私と対話し続けると思うのだ。だとしたら今、こうして生身で相対している私たちの意味はいったい何なのだろうか。私たちはなぜ生れてきて出会い、手を取り合ったのだろうか。
 一つだけ思うことがある。私が先に死んでしまっても、彼が残りの人生で私と対話し続けられるように、私はうまく彼の幻になりたい。
「あなたは、人間ではないね。夢幻を見せる狢なの?」
彼が真顔で、そう尋ねてくれるまで。   黒川伊保子「感じることば 情緒をめぐる思考の実験」


狢(ムジナ)って久しぶりにききました。そして少しだけぞくっとした。
「ひととなりて歌う」対話をするなにかに。



10年以上前の本なのですが、この人の作るAIは私よりも情緒的かもしれないと思う。