波はゆらめく2



読むこと が
見て そのあとに
その譜面を弦で鳴らして
その音を聴くような
たまに なにもしないうちに
共振するように鳴らされてしまうことに
驚くような 経験だとしたら



書くことも 表現以前に
それは やはり 自分の内側から 外部へ流れる
音楽のような流路を
見つける体験 なのかしら?
わたしがきれいだと 思うことばには
かならず その裏に その意味に 書いた人の音や色がある



内部から 外部への音の流れが断たれてしまうと
どうなるか知ってる?
だんだんことばが間遠になって
だからといって外部から 外部への流れに
内部を託すなどというのは
モードへ書き換えられると思うことは 
とても無理があることだったのかもしれない
核心に近ければ近いほど
形をあたえて解放に持っていくようなことは
とてもできなくて
かなしみ のようなものを普遍化させてしまったら 
とてもこの先やっていけそうにないわたしの
これは たしかにわたし以外のなにものでもないけれど
いつわりの歌かもしれないと 三回に一回は思う



すべて語ることができる回路があったら
ことばなど書く必要はなく
どうにでも言えてしまうことは
何も言わないこととおなじなのだけれど



多くのことが言いたいわけではなくて
一瞬 遠くを垣間見るとき 波音は止んでいる 
あの怖さと美しさと
絶え間ない音の波がゆらめくたびに 
肩を上から押さえていないと
浮き上がってしまいそうなさみしさと
これだけは確かに思えるのに
引き戻す波音
押しきって 一体どんな音にのせればいいの?