テンスのもんだい


                                                   

この夏は怖いほど生産性のない生活を送ってしまいました。
何をしていたかというと何もしていません。
家族はリハビリと称して隣の街に出かけていってはアメリカ映画をレンタルして帰って
きました。
パッケージとコピーを見ただけでつまらないかどうかが解るようになったそうで、その中で
一番つまらなさそうな映画を借りてきて、それを鑑賞し
「また貴重な時間を無駄にしてしまった」と煩悶するという遊びをしているのです。
(笑えません。)
私も一度、横で見てしまいましたが、その時見ていたCLOBERFIELDという映画は本当に
つまらなかった。*1
普通、つまらなくても女優さんが美しいとか風俗的に面白いとか何かありそうな気もする
ものですが街が破壊されて人が逃げ惑って終わりでした。
何に破壊されたのかもわからなかった。
ディズニーランドのアトラクションみたいな破壊のつまらなさです。
あまりにつまらなかったので、それ以降「その映画はCLOBERFIELDよりつまらないの?」
と尋ねているほどです。
更に怖いのはそのつまらないCLOBERFIELDを彼は1ヶ月に少なくとも3回は借りてきて
いることです。
別に気に入ったわけではなく前に見たことを忘れているのです。
さすがに3度目は自分でも変だと思ったらしく、
「記憶力が衰えると、何度でも新鮮につまらなく思えるのがいいな。」などと言っていまし
たが。(全く笑えません!)



そういう私も人のことは全然言えなくて、休暇前半は物を手放すことに熱中していました。
クローゼットを占領していた旅行用の大きなトランクとか、大量の楽譜や本やLPレコード
とか。
トランクはあらぬ疑念を抱く程重くて、数字でロックしてあり、壊してあけてみると、中から
またトランクが出てきてそれをあけるとまたトランクが出てきました。マトリョーシカ
ように。
それらを処分したら全くやることがなくなりました。
どうも私は手のかかる乳児でもいないことには、気晴らしということができない人間だった
ようなのです。
家事以外はひたすら椅子に座って犬を撫でているか人に薦められた聖書を眺めているか。
カトリックの教会には二度と足を踏み入れられないと思い込む程には小心で、聖書は趣味
で読むと言える程には罰あたりです。
尤も平常心ではとても読めず、眺めているだけなので犬を撫でているのとあまり変わりま
せん。



  かつてあったことは、これからもあり
  かつて起こったことは、これからも起こる。
  太陽の下、新しいものは何ひとつない。
             (コヘレト1章9節)



        (続きます)



*1:すごくつまらないを連呼してしまいました。まさかそんなことはないと思うけれどCLOBERFIELDファンの方が見ていらしたらごめんなさいね。