テンスのもんだい3

                                           

故多遲摩毛理 遂到其國 採其木實 以縵八縵 矛八矛 將來之間 天皇既崩 
爾多遲摩毛理 分縵四縵 矛四矛 獻于大后 以縵四縵。矛四矛 獻置天皇之御陵戸而 其木實 叫哭以白
常世國之 登岐士玖能迦玖能木實 持參上侍 遂叫哭死也 其登岐士玖能迦玖能木實者 是今橘者也


故、多遲摩毛理、遂にその國に到りて其の木實(このみ)を採りて、
縵八縵(かげやかげ)・矛八矛(ほこやほこ)を將(も)ち來たりし間に、天皇既に崩りましき
ここに多遲摩毛理、縵四縵(かげよかげ)・矛四矛(ほこよほこ)を分けて、太后に獻り、
縵四縵・矛四矛を天皇の御陵の戸に獻り置きて、其の木の實を敬手(ささ)げて叫(さけ)び哭きて白ししく、
常世の國の非時の香の木の實を持ちて參上りて侍ふ」とまをして、遂に叫び哭きて死にき
其の非時の香の木の實は、これ今の橘なり
(古事記)



私の考え方、話の進め方というのは非常にワンパターンなので、何だかもうこれ以上書かなくても
いいような気がしてきました。
でもいいや。一足飛びに結論を言ってしまうと、私は日本語も時をあらわすときに、テンスより
はるかにアスペクトを使う言語だと思っています。それも完了・未完了の。



現代日本語は「た」が過去ということになっていますが、「今はそうではないけれど」という完了の
ニュアンスの漂う場合があまりにも多いということですね。今はなき過去の助動詞「き」「けり」
にしても。そして「る」は、現在形ではありません。
たとえば普通に「私は映画を見る」といった場合、それは未来のことになってしまったりするから。*1



非時(ときじく)の香の木の實*2常世にあるなんて不思議ですね。
たとえ迂回しなくてもあなたも私ももともと揺らいだことばの上に立っています。
その揺らぎに身を任せたことがないなんて言わせない。
だって揺らぐ余地がないと。



「夏があった」
「私はここにいる」



一体これをどう読みます?


                                                                         

*1:いきなりたった4行でまとめる自分が怖い。興味のある方は調べて下さい。違っていたりするので。

*2:時の支配を受けない、転じて不老不死の木の実。橘だそうですけど