ゾラの「ナナ」3


娘が昨日から登校し、我家のインフル騒ぎとそれに関連したり関連しなかったあれやこれやも一応平常運転に戻りそうな気配です。
一応これは日記なので、戻るたびにだんだん平常が傾いでいっているような気がする…と書いておこう。忘れないように。
私はストレスがある水位を超えると突然手作業に走り、レースやら毛糸やら編んだり刺繍をしたりして、人に押し付けたりバザーに放出したりします。
今年は例年でいくと、長毛の犬がいるので家では誰も着ないセーターなんぞを2,3着編み上げていてもおかしくないのですが自重しました。
日記効果でしょうか?これも書いておこう。
「9月後半はだらだらとした文章のように過ぎました。苦痛でした。」


今にして思うと「風立ちぬ」と「野菊の墓」で当時の私がもやもやしたのは、「私」より複雑な感情を背負って死んでいったように見える女達が言葉を持たないでいるのに
(特にタミさんがあっくりだの春蘭だのを思い出しつつ産褥異常で死んでいったと思うと結構ヘコむものがあります。)
残った「私」が文学的修辞を散りばめて書いたり、純粋な思い出として回想の体裁で完結させてしまうことへの不満みたいなものが多少なりとも
あったような気がします。
多分そこら辺の鬱憤を八つ当たり的に伯爵に重ねた「貴様なんぞ冷たい雨に断続的に打たれて、石畳に伏していればいい」(中二病率120%)的な快哉
どこかにあって「パリを彷徨って雨に打たれるのが凄くいい」だったんじゃないかと。


こんな風に書けるのは、実は1週間前古本屋で注文して「ナナ」を手に入れたからです。
カラー版世界文学全集 第16巻 ゾラ 「ナナ・クロードの告白」 山田稔訳 昭和42年3月初版発行。
配本された時そのままに、本の間には「'67/2月の新刊」や日本文学全集のチラシまで入っています。話題の新刊は「黒い環」石原慎太郎、「海」近藤啓太郎
反戦の論理」鶴見俊輔他、重版では「邪宗門高橋和巳
若き日の吉永小百合が河出のイメージキャラだったようで着物姿で全集を開き、にっこり微笑む写真もあって得した気分。
まず最初に最後のキメ台詞を確認しました。「ああやっぱりこれだった。」30数年ぶりの再会です。


再読しながら「私はこれを本当に中学で読んだのかしら?」と思うようなシーンが結構ありました。ある意味「妖星伝」よりもませくれてないと読めない本じゃなかろうか。
それでもこの臨場感は文学のぶの字も知らない子をも夢中にさせるところが確かにあっただろうと思わせるものがあります。
特にミュファ伯爵パリ彷徨のくだりは読んでいるこちらも現在形の雨に打たれ、手すりや石畳の冷たさを肌で感じ、窓の灯りを凝視する目の痛みまで想像できる。
絶望というのはこういうことなのだと当時の私が思ったのかどうか、この本の中でも白眉のシーンです。
中学生の記憶にこれだけ刻まれたのもわかります。やはり名作である由縁かしら?(それを言うなら「風立ちぬ」や「野菊の墓」もそうなのですが)


それにしても山田稔の訳は、現在形の魔法のような翻訳です。私はフランス語も翻訳の世界もよくわかりませんが、刹那を掬い取るためにはことばが散文詩
世界に近づくことも躊躇しないって感じ。その結果どうなったかと言うと、男達は勝手にナナに夢中になり勝手に絶望し勝手に次々と破滅していき、パリの大衆は
物語の中で勝手にナナの裸身に熱狂し、競馬に熱狂し、そして醒め、最後には普仏戦争前の対プロイセンへの憎悪に熱狂するんです。
乾燥ういろうとはほど遠いそれこそパンデミックみたいに。
そして「ナナ」は男の熱情とも時代の熱狂とも無関係に、物語とも無関係なように、唐突に外国に出奔し戻って来た時は天然痘で死にかけている。
反目しあった女達だけに看取られて、かつて君臨していたその美すら急速に腐敗させて。無関係でいながらこれ程時代の空気を象徴するものはない。
これは節子やタミさんからすれば忌々しいほど羨ましい死に方ではないか?

ローズが部屋を出てドアをしめる。後にはひとりナナがのこった。ローソクに照らされ、うえをむいたまま。血と膿。クッションのうえにほうり出された一塊の腐肉。すでに顔全体に膿胞がひろがり、くずれはじめている。つぶれてかさかさになった部分は泥のような灰色をおび、どろどろに崩れた顔のうえで、すでに地下の黴のようにみえる。もう顔かたちの区別もつけがたい。左の眼は、化膿してふくれあがった皮膚のなかにすっかりめりこみ、右の眼はうすく開いたまま落ち込んで、腐った黒い穴のようだ。鼻からはまだ膿が流れていた。一方の頬から口へかけて、赤みをおびたかさぶたがひろがり、口もとがゆがんで、ものすごい笑いをうかべているように見える。そしてこのおそろしい虚無のマスクのうえに、髪が、あのみごとな髪だけが、燦然たるかがやきをたもち、黄色い川のように流れていた。ヴィーナスは腐りゆく。どぶのなかや、道ばたに捨てられた腐肉からひろった黴菌が、多くの人間を害した毒素が、ついには彼女自身の顔を犯し、腐らせたかのように。
 部屋のなかはがらんとしている。大通りから、悲痛な絶叫が怒涛のようにわきおこり、カーテンをふくらます。
「ベルリンへ!ベルリンへ!ベルリンへ!」

 
 河出は最近文庫でフローベルを旧訳で出したりしています。「ナナ」も山田訳で文庫にしたりしないでしょうか?
 物知らずの中学生も閉塞した主婦もこんなに揺らすのに。