日食


はるか昔の学生時代、上代文学専攻でした。
リハビリ気分の怠け者学生だったので、現代は重い、中世は怖い…と消去法で
残ったのが上代だったというあるまじき理由です。
そんなお馬鹿さんに、萬葉集のゼミというのは、解釈以前に「まず類歌を挙げて
もらおう。話はそれからだ。」みたいなところがあって 分厚い頁をあっちを開いた
りこっちを開いたり、漢語辞典や記紀をひっくり返したりという住民基本台帳とか
年金記録の照合的な作業を要求するものでした。
訓読や解釈にはこれまた巨大なマブチを始めとする人々が立ちはだかり、煮詰
まって飛鳥をさまよったりいろいろした挙句、「結局全然わからなかった。でも人
麻呂ってすごい」みたいな感想を持って卒業し、全く関係ない仕事についたわけ
です。


それでももう使われなくなった言葉はいいと思うときがあって
萬葉の特に巻一巻二は原文(万葉仮名)と一緒に読んだほうが絶対に面白いです。
声に出して歌い継がれたものを目で見てわかるものにすることに苦心したあとが
見えるような気がするから。




淑人乃良跡吉見而好常言師芳野吉見与良人四来三  
よき人のよしとよく見てよしと言ひしよしのよく見よよき人よく見   巻1・27


 壬申の乱後の天武天皇の歌です。ことあげして褒める、よい字を使う、さいわい
を祈る 訓読もスムーズで気持ちいい





燃火物取而裹而福路庭入澄不言八面智男雲    
燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言わずや 面智男雲       巻2・160


 持統天皇の天武の死に際しての歌です。燃える火も手にとって包んで袋に入れ
ると言うではないか というのは何かの呪術なのか、火鼠の皮衣的な言い伝えなのか
普通の感慨とは違っていてとても意味深長です。これは難訓歌で最後の面智男雲
に決め手がありません。
普通に考えると最後は「(そんな非現実的なことだってあるのだから)、生き返っ
て欲しい」という意の言葉になるのでしょうか?
あるいは「(こんな言い伝えがあるではないか)・・・・・だとしても」とか。


難訓歌というのはどうも挽歌に見られるような気がしないでもないです。
次の歌はとても有名な難訓歌です。



莫囂圓隣之大相七兄爪湯気吾瀬子之射立為兼五可新何本  
莫囂圓隣之大相七兄爪湯気 我が背子が い立たせりけむ 厳橿がもと  巻1・9




 額田王斉明天皇について紀の温泉に行ったときの歌です。わざと読めないよう
に書かれているような気がする程難しいです。
多分100人以上の人が訓じていますが、そのどれよりも莫囂圓隣という言葉は黒々
としていて美しい。
我背子は表立って挽歌に詠む(記す?)わけにはいかない人なのでしょうか?ゼミ
の先生はよく「先走りは禁物」って言ってましたっけ。



何故こんなことを私は書いているのだろう?


別に大した意味はないのだけど、面智男雲や莫囂圓隣は日食の太陽(あるいは月)
みたいだなぁと思っただけです。