なにを読んでいるの?




「砂漠の町とサフラン酒」 小川未明 /  絵 山福朱実  架空社


テキストだけで読んでいた時は、妖しくうつくしい砂漠の町を作り出した
女の悲しさ のように読んでいた気がします。
絵はどれも3色以内の木版画、強くて大胆な構図。
個人のふるさとや若さを吸い取って、繁栄する町 (システム?)の砂漠の中での美しさ、
悲しいだけじゃなさ をこんな風に読ませてしまう というのは絵の力でしょうか。





布装の本は2冊しか持っていませんが、これはそのひとつ。
調べてみたら司修の仕事でした。
はじめて読んだ時に縛られすぎかも知れませんが、「出発は遂に訪れず」の作者が、
僅か9ヶ月間の夫婦の出来事を、5年後から書きはじめ、17年かけて本にした。
そのひとの戦後 というのが、読んでいる間ずっと感じていたこの黒い表紙のざらざらと
して記憶に残っているような気がして。


私はなにを読んでいるの? とときどき思います。
文字ではない余白を?記憶を?






父の本です。
これで現代詩というものをはじめて目にしました。
幸せな出会いではなかったな と思います。


全集なので二段。圧倒的に余白がなく全て詰め込まれていて
変ないいかたですが、出会いがしらに大量の毒を飲まされたような
衝撃でした。
吉岡実の「僧侶」も黒田喜夫の「ハンガリアの笑い」も
谷川竜生の「虎」も確かにここで見たのですが
きっと読んだとはいえない。
一旦変容した世界は二度ともとの世界を返してくれない という
予感ばかり先行して、口がきけなくなったくらいです。
ちがう出口を見つけて、長い時間をかけてもう一度会えたらいいと
思うまで、ずいぶん年をとってしまいました。


詩は一篇ずつ、一冊ずつ 時間をかけて読まなければ大変なことになる と
今でも思っています。
何を読んでいるか? ではなくて 何を読めなかったか になってしまいましたが。