壁と絵と窓枠

此の釣を以ちその兄に給ふ時に、言りたまはむ状は
『此の鉤は、淤煩鉤おぼち須須鉤すすち貧鉤まぢち宇流鉤うるち』と云ひて、後手に賜へ。



兄(火照命)の釣針を失くして許してもらえなかった火遠理命(山佐知)は綿津見神の宮へ
行って、豊玉毘売と結婚しますが、鯛の喉から取り出された兄の釣針を手渡される際に
海の神に言われた言葉。


「おぼち」はぼんやり(溺れる意もある)針、「すすち」はよろよろ(荒れすさぶ
意もある)針、「まぢち」は貧乏針、「うるち」はおろか針のこと。(中村啓信 訳注)
そう言って後ろ手に兄に渡しなさい。



古事記のなかでは呪言であることが最もはっきりしている部分かも知れません。
こんな渡し方をしたら、どう考えても怪しまれる気がしますが、
兄の火照命海佐知毘古)は受け取ってしまい、その言葉通りの目にあうわけです。



ことばが効力を持つのは信じて(受け取って)しまうからで
そのときことばの半分くらいは物質ではないか という気がします。
触れるし形もあるし物理的に作用する





私は何を言っているのかな。



ここは、日記のように日々あったことを書けばいい筈なのですが
ことばによって書けない という気がしてしまうとき
そのとき 言わないことは
言うことと少しも変わりません。



ことばにできないものは、ことばにできないまま
ことばにできるものによってピン留めされていて
ひたり と動かない蛾のように見えます。



きっと死ぬまで忘れないのだろう と。