台風が来る前に、実家の墓参りに行きました。


しかし、あらためて読むと、別の発見もある。リゴベルタが繰り返し「秘密」という言葉を口にしていることに気がついた。
たとえば、インディオの子は「人に添う影の様な」ナヴァルをもって生まれるという。ナヴァルは「大地を表わし、動物を表わし、水を、大地を表わすもの」である。インディオの信仰する精霊であろうが、彼女はそれ以上は「インディヘナの秘密」としてしか答えていない。「祖先の秘密」という言葉も出てくるし、父母から秘密を守れと教えられたと語っている。そして長い証言の終わりを


わたしは、インディヘナであることの秘密をあらいざらい話しているわけではありません。だれにも知られたくないことは、これからも隠し続けていくつもりです。*1


と締めくくっている。秘密とは抵抗組織のことではない。インディオとして生きるためのなにか。------それは圧制のなかから生まれたのだろうか。そうではないだろう。


私たちはあまりにもわかりすぎる世界に生きているから、自分自身の秘密に気づかないのではないか。急ぎすぎる社会はすべてに合理的な計算と解答を迫る。そして必要のない弱い人間は切り棄てられ、物と化す。リゴベルダの「秘密」とは少数民族に限らず、私たち人間すべてが失いかけている、粘り強く生きるための問い、そのように思えてならない。


                     松山巌 「リゴベルタの秘密」1993 『路上の症候群』

 

                                               

*1:リゴベルタ・メンチュウ - Wikipediaエリザベス・ブルゴス 編集   『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』