クウェンティンという人


語り手として、この人ほど信頼のおける人はいないと
以前、思ったことがあります。
アブサロム、アブサロム!』はそれなくして
成立たない気がして。


どうしてかな。
知性と繊細さと南部の家長的な性格が同居しているから?
純潔と名誉と破滅と そして死を愛し
響きと怒り』では意識の流れを読者に開示し
なによりももう死を支払い終わっているから?


でも結局、語り手のどこを信じてしまうかというと
もっとも身近にいた妹の一瞬を

ライラック色の絵の具をさっと一塗りしたみたいだった。


と記憶から今に浸出させてしまう そんな感性の持ち主であるからかも。


その顔や喉にスイカズラの匂いがただよって




弟のベンジーも信頼できます。

キャディは木のようなにおいがした。


キャンダス・コンプソンは語られる人。最も印象的な。
運命を受け入れ流れていく人であっても過去を次々と脱ぎ捨てて
行ったでしょう。語る人ではないので。
「かわいそうなベンジー」といい、おなじように「かわいそうなクウェンティン」と言った
そこでも人はことばであるようなのです。






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昨夜は「シン・ゴジラ」を見てきました。
「街を壊して歩くだけなんでしょ?」と言っていた妹が、終わってパンフレットを
買い求めていたのが面白かったです。
とても軽い気持ちで見に行ったのですが、細部が妙にリアルで
(急ごしらえの対策室の様子とか、ただ眺めているシーンとか)どうしても5年前を
思い出しました。
あと、幼い頃、親族が大映にいたことがあって、たまに見た特撮映画のこともよみが
えりました。生まれつき傷ついた巨大なものが自分を引きずりながら都市を横断していく
昔、怖かった映像の印象も。