枯野という船

此の御世に、兎寸(うさき)河の西に、一つの高き樹有り。其の樹の影、旦(あさ)日に当たれば、淡道嶋に逮び、夕日に当たれば、高安山を越ゆ。故 是の樹を切りて、作れる船は、いたく捷(はや)く行く船なり。時に其の船に号(なづ)け枯野と謂ふ。故是の船を以ち、旦(あした)夕に淡道嶋の寒泉を酌み、大御水を奉る。故の船破壊れて、塩に焼き、其の焼け遺れる木を取り、琴に作る。其の音七里に響む。尓して歌ひ曰りたまはく、


枯野を  塩に焼き
其が余り  琴に作り
掻き弾くや  由良の門の
門中の  海石(いくり)に
振れ立つ  浸漬(なづ)の木の  さやさや         紀 歌謡番号74


何故船に枯野 と名付けたのかは、軽や韓(新羅)の当て字であるとか、塩を焼く=辛い
だとか、いろいろな説があるそうです。でも普通に読んだほうが納得できそう。
「いかに木を殺すか」という小説の題名が何故か浮かんできます。
最後に琴となって七里に響いた さやさやとはどんな音でしょう?


漢字の洗礼を受けて記された、その時点の歌が残っている ではそれ以前の歌はどう発生
し、どうあったのか(その歌は本当はいつ作られた歌なのか) というのは見果てぬ夢 
というか解けない謎ですが、この律から少しはみだしたような「さやさや」がなんだか
とても気になって、娘が生まれたとき名前に音を借りてしまいました。
(彼女は知りません。学校で由来をきかれる宿題があって、もっとわかりやすい歌を教え
たことがあったような気がします。ごめんね。まあそういうことだから。)