現代短歌の歌をつくる工程のはんぶんは
意味を抜く作業ではないかと思います。
意味を抜くことで違う意味に出合っていくこと。



過剰や重複によって意味の位置を動かしている
ように見える歌もあります。
そのままでいられないのは言葉ではなくて
(それははなから形なきもので)
ことばを使う形なき《わたし》の位置なのかも。




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当然それは、'言いたいことを言う' ために自分自身の立ち位置を変えてい
くようなこと (たまに自分がそうでないか、不安になります) とは正反
対に位置するものです。
自分のことが言いたいわけではなく、目の前の立ちあったものに身を投じた
(大袈裟かもしれないけれど)運動のようなものなので。



読むときは読むわたしを限りなくフラットにしてくれる、そこからはじめさ
せてくれる、そんな言葉を読みたい。いつでも。



数限りなく立ちあった夜明けのような瞬間の記憶が、私を生かしてくれていた
と思うから。それはことばに限らないかもしれないけれど、そこに自分ではな
い人の存在を最も感じさせてくれるのが文学かも知れないと思っています。





「やさしさ」ってよくわからない。ただ、それがやさしさで、優しさが力だと
言われたら恥じ入るしかない。 そういうもの、 だろうか。





蝉が鳴いています。 夏がきたのかな。