少しだけ時間について


千代田線赤坂駅





外の時間 というのは他者と時の目盛りを合わせるために
人がこしらえたもの
時計はたくさん持っていて、左腕にいつもつけています
普段は見ない


王国の時間 奴隷の時間
二人の時間 三人の時間 四人の時間を知っています
だれかとの時間は日時計の影のよう



音楽を聴く時は 耳はその瞬間の音を瞬時に過ぎた過去の音に
繋いで 空白に時間を描く 心まで響く時間さえ利用して



どの幻想の時間の流れからも不安によって押し出されて
そこにはなにもなく
何もないから時間は流れない 意味の空白に立ち尽くす
そういうものも 知っているかもしれない



だからといって
常に、意味を露に欲望し続ける生き物は私も含めて嫌い 自分の揺らぎを知らないから
人は意味を欲望する生き物だ というのはわかっているつもりですが
意味は快楽 大きな意味も情緒的な意味も







こどもの卒業式 S区ーH市ーS市
今年も辛夷が咲いていました。そのむこうの空に 飛行機が線を描きます
私には直線に見える それも果てしない円の弧かもしれない
(円とはこわいものですが)



死者も私もひとつの死を(未知というより非知の)持っているという
一点で同じであると思っています。
悼むというのは生の領域で行われることですが。