夢と記憶


千と千尋の神隠し を見て
夢の中の万能感の
仕掛けがうまくまわっている
と以前書いたことがあります。


あの水に囲まれた地形は夢の地形
カオナシの宴会と追跡の阿鼻叫喚から
追うもの追われるものである中心が共に抜け出て
収束し静まりながら空を映す周辺の水辺へと逃れていく
宮崎駿はこういう描写がとても上手い(すこし狡い)。


何故そこに答がないかというと
そこでは問いが問われることがないから
根拠は与えない。運動だから。
悲しみも喜びも。 


ノスタルジアもそれに似ています。
光ではない けれども淡い光に似ている
問いはもう問われつくしている



実際の外は、溜めていた時間が流れ出す
砂漠なのかも しれないけれど
問いはそこにある?