昨夜は吉本隆明の講演をネットで聴くことができる としって、眠る前に少しだけきいてみました。
私は「背景の記憶」以外は数冊しか読んだことがないのですが、声を聴いたとたん
全く忘れていた、当時の新聞の高橋源一郎の追悼文が甦ってきました。
生涯にわたって「君なら独りでもやれる」「おれが前にいる」と言ってくれた 
というような文だったと思います。そして「彼が亡くなって僕達は本当に独りになった」



たしかにそんな声である気がしました。



古井由吉の夢の野川の土手の文章を書き写す(keyを打つ)のが少しも
苦にならないのは、言い古されたことかもしれないけれど、イメージの森の中を
彷徨っているかんじがするからだと思います。
そして覚めぎわの そこまで一緒に行こうか は 声のように伝わる。



自分の本当の声は聴き取れないけれど、聴いた声はその時々に
イメージの森の足元の土壌から重なり合う木々の枝をとおってくるようで
その人それぞれが持つ森を更新してしまうほど、
その喚起するものって大きい。



森の入り口で耳をすましているときには 旅をしていて 
意味はどうか最後の最後にゆっくりやってきてほしいと思っています。
旅するために


永遠よりも少しみじかい旅だから猫よりも少しおもいかばんを   荻原裕幸