夏越



小さな八幡宮のせいか、ぐるぐる茅の輪をくぐるひとは見かけませんでした。


茅の輪の由来は、スサノオが旅の途中で宿を乞うたときに、裕福な弟の 巨旦将来は
それを断ったのに対し、兄の蘇民将来は貧しいながらもてなした。後に再訪したスサノオ
弟の嫁になっていた蘇民の娘の腰に茅の輪をつけさせ、それを目印に彼女以外の弟一族すべて
をほろぼした という縁起によるものだそうです。 生き延びた蘇民の娘は幸せだったのか。



昨夜は久しぶりに息子が来ました。
男の子の母親同士、息子というのはどうしても理解の及ばないところがあって
なにができるとも思えないけれど、気持ちから捨て置いていいとも思えない 
という話になるときがあります。
村上春樹の短編に、理解できない息子を持つ母親が、この子が息子でなかったら
付き合うと思うだろうか というようなことを考える話があって、息子が事故死した
島に出かけていって海を眺めたりする(のだったと思う)のですが、こういう厭なこと
を書くのはやはり作家だな とおもいました。
私の(私たち といっていいとは思えない)場合、それに加えて、こどもの大事な時期に
とても大事なことを教えられなかった  それは私にも今でもよくわからないものだから
という思いがどこかにあって、それはとてもおこがましいものだとわかってもいるのですが
結局、いつも同様、彼の好きな点心をたくさん作ったりしました。


母に会うときは焼き菓子を作るのも、娘のお弁当や、夕食つくりも(今日は、胃の調子
が悪いというので、トマトと夏野菜のリゾットでした)何かの代わりなのかも知れなくて、
それだけではないと思いたいけれど、わたしにとって料理というのはそういうものです。






夏越の祓だから というわけではないけれど、書いてみました。
元気でいてくれるだけでいいのです。
明日から七月。少し名残惜しい。