編み物


昨日が仕事納めで、帰ってから今まで編み物をしていました。
現実逃避か現実への逃避かわかりません。
ただ、ずっと編んでいると自分のなかのどんな喧騒からも遠い時間が
やってきます。(その代わり、身体中痛くなります 自傷の一種かしら)



はたと雑草が眼に止った
アスファルト道路の端から生えている
何か言葉になりそうになったが
勤めの同僚23人と昼食の帰りなので止めた


午後ずっと
雑草は言葉を求めているように思える
でも
雑草の記憶を放置する
しかし、遂に
私は道端の雑草を見たとこゝに記すことになってしまった

                   鈴木志郎康「雑草の記憶」


この後、何故雑草に眼をとめるのかの推測が書かれてしまっていますが、
ここのところを、何故か不思議なことばとして思い出しました。(作者がわからなくて調べました)
不思議なのは「午後ずっと 雑草は言葉を求めているように思える」と「記すことになってしまった」の部分です。
ただ流れていくもの とことば。ことばも流れていく、
書くことも書かないことも読むことも読まないことも意志である というのが
私はつらかったのかもしれない。