手紙
前略
読み書きという行為に自己確認を強いられる度合いの強い人間同士にとって
手紙はあまり良いコミュニケーション手段とは言えないのかも知れません。
踏み絵を交互に差し出すみたいなことはやはり良くない。とっても。
まして返事を書いたら書き手も読み手も言葉に縛られてしまうような力を持つものを
果たして手紙と呼んでいいものでしょうか?
今日は満月に一日足りなかったので、夜に犬の散歩に行きました。
いつも歩いている造成地の最後の一角が囲われて立入禁止になっていました。
風景は一日にして変わるのね。とても残念。とやはり造成地に建つマンションに住む私は思いました。
私の原風景は、海の近くの町に行く以前の、やはり都下の草原なのだろうな なんて。
(そういえば月を見るのを忘れたわ。)
何が書かれていて、何が書かれなかったか。
ほんとうに大事なことはそんなに多くはないけれど、もしあるとしたら迂回した場所にあるか
迂回して書かないと嘘になってしまうと私は信じるものです。
そんな私を私は大嫌いで信じていなかったりするのですけれど。
こんな人生最悪のタイミングでない時に、ここではなく、会社帰りの橋の上かどこかで
すれ違えれば良かったのにと思っています。