母が手を振る


庭というものは
囲い込まれたものだ
ここは牡丹が
ここは芍薬
初夏の華やかな重さを記憶して
眠っているところ
都忘れのあった横
もういない人が最後に見た
梅の根本には
秋明菊がばらけている
藤棚は壊されて駐車場になり
紫陽花は芽をつまれた
花の色の無くなる季節の前に
多分今度の雨までの薔薇が
絹のように折りたたまれた部分に
まだ生き残っている
近隣中のアブラムシを招きよせる



うすみずいろの11月の空の下
最後の薔薇の蔭で
駆虫剤を片手に
誰かの帰りを
待っている
囲いこまれた中で
今にもふわりと散りそうな愚かしさを守りながら
この空の下なら報われなくてもいいと
自ら遠ざかることに慣れていくのは
今ならわかる
おそらく母というものの役目なのだ