活発な雨雲が


つぎつぎに流れ込んでいます  ということばをききました
それなのに


風邪をひいてしまったので、ハンマースホイの図録を眺めたりして
過ごしています。
八年前、絵を眺めるような時間はなかったのに、二度も見に行った展覧会。
一度目は、きっとあなたは好きだろう と人に言われて。
二度目は、そう思われたことへの疑問に耐え切れなくて ひとりで。





うしろ姿。視線が画布を横切らない。



なんだかかなしさがうろうろする


でもこんなことをことばに押し付けて
どうしようというのだろう?


ふりかえると水溜りがある


遠くからいままでをうつすには
たりないのに
どうしてとりあえず
水溜りであったりするのだろう?


これは ことばへの不信ではなくて
とりあえず にすべてを
代入して楽になりたい という
自分の望みのお話


そうすることで、本当のかなしさを
手放してしまう その手順についてのお話


手前の意味によって解消されてしまうのなら
悲しすぎるかなしさだ というそんなお話


音でおこることがことばでおきない筈はないと
思っています


拙くて数少ないことばであっても
とりあえずの意味を作り出せるほど
ことばをプールしてしまったことに
絶望すべきなのよ。私は。(雨よふれ)