本のなかの花 など


泉鏡花の『草迷宮』のなかには、白粉花と常夏が咲いています。
川のほとりに咲く常夏は撫子の古語。
小児らのかぶる芋茎の葉のお面、山百合、座敷にふってくる青楓、槻の葉。


本の中の夏の花は何故か印象深い。
前出のフォークナーには、年老いたミスの窓辺に二度咲きの藤の花がありました。
あと、何と言っても『響きと怒り』の中の北部ニューイングランドの道筋で何度も
よみがえる、南部の小川とスイカズラの香り。



作者も題名も忘れてしまって、ただ租界が舞台で花が印象的だった という本を
先ほどまでネットで探していて、やっとみつけました。 日影丈吉 『内部の真実』。
花は玉蘭でした。夜に咲く
(『無援の抒情』みたいな題だった と思ったら一文字しかあっていませんでした。)



本とは何でしょう。


山尾悠子の『遠近法』は、週に一度、作者である「彼」に会って彼の書く小説
の話を聞き続ける という話です。名も住所も知らない彼の書く「遠近法」と名付け
られる予定の小説は、《腸詰宇宙》と呼ばれる円筒形の塔の内部の話で・・・



そして彼は、私の「バベルの図書館」の一言で消失する

 と同時に私の耳の遮断膜が開き、外界の騒音が一時に私の中へなだれこんできた。
そこは街角のありふれた喫茶店で、店内の空気を攪拌している冷房装置の低い唸り
と他人のざわめきとが、稠密に私を取り囲んでいた。その中に、私はただひとり、
テーブルの上の草稿と共に取り残されていた。そして、その草稿の束に私は初めて
直面したのだ。
 私の内部から、"彼"が欠落してしまった今、その小説を書いたのはこの私なのだ
と言うべきなのかもしれなかった。

ボルヘス『バベルの図書館』を昔読んだ時はとても驚きました。
最も印象に残っているのは、「懐かしい生地の六角形」を捨てて「弁明」をさがすために
階段をかけあがり、発狂したり死んだりするひとびとのこと。
弁明の書は実在する。しかし一人の人間が自分の本を、あるいは偽物を見つける可能性は
ない。 (ごめんなさい。うろ覚え)



幻想 ということばがあまり好きではありません。
すぐ身近にあるこれを、遠く隔ててしまうことばのようで。