Satie


渋谷で「エリック・サティとその時代展」 を見てきました。
さり気なくて素っ気無い。美学とは異なるほうに流れていく音たち。
サティは楽譜に詩のようなものを書きますが、楽譜に書かれたことば
(語り というか人語と呼びたい気がします。)は音がそれをかわしながら
背後に回りこみ、共に遠ざかっていくためのもののような気がしました。


それはたとえば喫茶店でバッハのゴルトベルクがBGMで流れるのとは全く違って
その小さな空間、時間の背後に音自身がまわりこもうとする音楽 とでもいうか。
以前は、そのエスプリ と呼ばれるようなものがどうにも好きになれなかった
のですが、それはほんの一面で、もっと実験的で特異な音のあり方を見ようとした
人なのかもしれない と思いました。


山高帽子とステッキと付け襟が展示されていました。



「自宅にいるサディ氏、もの思いに耽る」サティからコクトーへの書簡






何かを証明するために生きるのはもう辞めましょうよ。
そう生きた結末がどうなるか、私はよく知っている。
そんなふうにしなくても、結果的にそう生きてしまう というのが
人というものでしょう?


となぜか言いたくなるときがあります。誰に? 自身に?