浅間山の降灰を確認にいきましたが見当たりませんでした。
裏の斜面は百合の群生。



既にある否定や絶望に守られてなにかを言うことに飽きてしまっていて
私が空白に見えるとしたら、それが理由かもしれないと思ったりします。
どの記憶や感情にもその都度新しい袋がほしい。破れやすくていいから。



知性ってそのためにあると思うのだけれど 全然足りない。
勢いや声の大きさではなく、繊細で持続的に考えて、言う までたどり
着ける人って、どうやってその力を身に着けたのでしょうね。