螺旋の途中



どの貝もずっと螺旋を描く途中だった






ノスタルジア」は昔、六本木の小さな映画館で見ましたが、あまりいい観客でなくて
途中で眠ってしまいました。客死した監督の望郷の作品ではなく、亡命する前に作られたもの
だと知ったのもずいぶん後の事です。
風景の中の犬と男の子、いつの間にか現れる人たち、。
遠い記憶のような郷愁を守り、決して現実に客死しない  
そういうことかな。




助詞のことをすこし考えて、
万葉集の時代にはあった、時間的、空間的な起点と、経過点をあらわす「ゆ」という
助詞はなぜ廃れてしまったのだろう と思いました。
赤人の、田子の浦ゆ の歌の「ゆ」です。
「〜より」とか「〜から」には決して回収できない余白があったと思うのに。

わが胸ゆ海のこころにわが胸に海のこころゆあはれ絲鳴る        若山牧水「海の聲」