歌舞伎町で


昨夜、映画帰りにバッグの肩紐に躓いて転倒し(よくやります)
人ごみの中、痛かった以上に恥ずかしかったのですが、ひらひらの女の子が、
「大丈夫ですか?」と配っていたティッシュをたくさん渡してくれたり、
あまりの見苦しさに引っ込んでしまったと思っていた黒服の男の子が、店内から
絆創膏を持ってきてくれたりして、しばし多幸感みたいなものに包まれました。
この街のどこかのバーにいる息子も幸せにやっているんじゃないか って。



人を思うとき、その人は明瞭な個別性、単独性を持って現れるのに
語ることによって普遍的なものになってしまいそうな気がします。
名前とか属性だけでなく、ことばに属する動かないなにかに。



膝をすりむいた上、一夜明けたらついた手首がとても痛いです。
「また転んだんですか?」と職場の後輩に言われました。何故知っているのか?