Songs Without Words2



ピアノという楽器は 不自由な楽器です。
そうしようと思えばそれだけで完結してしまう孤独な楽器でもあります。
そしてjazzというのは、私が聴き始めた頃には既に懐メロでした。



Fred Herschというのは不思議なピアニストです。
最初に聴いたのはHorizonsでした。
Bill Evans系のピアニストなのだと思いました。もっと硬質で内省的な。



最も知的なピアノを弾く一人であり、鳴らしたい音を鳴らすことの出来る 
とても上手い人の一人でもあります。



ただ、この人は聴くたびに予測不能なところがあって、硬質なのだけど柔軟
とても繊細なのだけれど一方でスリリングにトバす人なのです。
どこまでが作図のうちなのかがよくわからない。
そしてそれをとても地味というか、さり気なくする人です。



病と向き合いつつどんどん内省的な感じのピアノになっていくのかと
思っていました。



3月の震災後、NHKは深夜の臨時ニュースの合間、被災地の天気地図の静止画の
バックにKeith Jarrettのケルン・コンサートやパリ・コンサートをずっと流して
いました。
天上的な美しくて豊穣なものを即興で音楽に翻訳することに成功してしまった
ものが、あの時期毎日深夜に流れていた不思議。
個人的には、自分の居場所をとても思い知らされるような経験でした。



Herschの復帰後の2作 “Whirl” “Alone at the Vanguard”はとても美しい
ものですがKeithの美しさとはかなり違っています。
オクターブの練習からはじめたという人が以前と同じにまで復帰したことは
奇跡といっていいことです。
それ以上に、もともといくつかの音のラインを追わせながら音楽のある場所に連れ
て行く というような感じのピアノではありましたが、音の流れを追ううちに、
中間の何もない空間も鳴っていて、それがほかならぬ自分のこころが鳴らされて
いるのだということに気付いて驚いてしまう そんな感じ。



そこで鳴っているのはテクニックとか音の組成とか完結とはもう別のものです。
もちろん複雑なラインの音も技も健在です。そうなのですがそれ以上に
認識という冷たいものと なにか暖かいものが、存在に近い場所では共存してしま
う可能性がそこにあります。「思いがつくされている」



私の耳がおかしいだけ とも考えられますが、一体なにを弾いたのかを
何度も確かめたくなってしまう。何度聴いても飽きることがない。
何かの代償行為ではないかと思うというのは そういうことです。



意味の遠浅を読むこととは別に、いつの間にか本や画面上のことばが自分の
こころに場所を移している そのこと自体に驚く というようなことってあ
りますよね。覚醒ではなくて驚き。



直感だけで書いてしまいました。